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ここまで進んだ「iPS細胞」 研究最前線

2012年、日本人のノーベル賞受賞で広く名前が知れわたったiPS細胞。その後、医療応用の研究が進められ、ヒトの臓器をつくり出す革新的な技術も登場しています。「iPS細胞で何がどこまでできるのか?」「夢の再生医療の実用化の見通しは?」。 iPS細胞の「今」を解説します。

教えてくれた人

谷口英樹(たにぐち・ひでき)先生
横浜市立大学医学群教授(臓器再生医学)

筑波大学医学専門群卒、同大学大学院博士課程修了。日本学術振興会特別研究員等を経て、同大学臨床医学系講師(外科)、2003年より現職。横浜市立大学大学院先端医科学研究センター 研究開発部門長兼任。2013年、世界で初めて立体的な臓器の芽である「肝芽(かんが)」をつくり出した。

iPS細胞って何?

iPS細胞(induced pluripotent stem cells)は、「万能細胞」ともいわれ、体をつくるあらゆる細胞に成長する能力を持つ細胞です。京都大学の山中伸弥教授が世界で初めて作製に成功し、2012年にノーベル生理学 ・医学賞を受賞しました。iPS細胞は、大人の皮膚などの細胞に数種類の遺伝子を導入してつくります。さまざまな細胞や組織、臓器に分化する能力を持つ“細胞のもと”であり、再生医療をはじめ医療全般への応用が期待されています。

iPS細胞の登場以前は、受精卵から取り出した「ES細胞」と呼ばれる細胞が、再生医療の研究に使われていました。しかし、卵子が必要であることや、初期胚を破壊して細胞を作製することなどから倫理面で使用の是非が問われています。iPS細胞は卵子を必要とせず人工的につくれるため、医療応用しやすいのがES細胞との大きな違いです。

図1 iPS細胞とES細胞の違い

再生医療で使われる細胞は「体性幹細胞」と「多能性幹細胞」に大別される。体性幹細胞は決まった組織の細胞にしか分化できないが、多能性幹細胞はヒトの体をつくるすべての細胞に分化が可能。ES細胞やiPS細胞は多能性幹細胞に分類される。

「もっと知るiPS細胞(1)」
iPS細胞にはグレードがある

一口にiPS細胞といっても、もとになる細胞(株)によって少しずつ性質が違います。株には数えきれないほどの種類(グレード)があり、その中から研究に適した性質を持つ株を選ぶ必要があります。医療研究用には、安全性が高く質が良い株であることが最重要視されています。

最も実用化に近いのは?

現在、iPS細胞を使った再生医療は研究段階。まだ実用化されているものはありませんが、臨床研究(実際にヒトに治療を行い、安全性や有効性を検証するための研究)が行われているものや、準備が進められているものはいくつかあります。

実用化に最も近いとされているのは、加齢でものが見えにくくなる「加齢黄斑変性」という眼の病気の治療です。網膜の中心部にある「黄斑」という部分をiPS細胞でつくって移植するというもので、2014年に第1例目の移植治療が実施されました。

神経や心臓に対する再生医療の研究も後に続いています。パーキンソン病治療のため、脳内でドーパミンという物質を放出する神経細胞を、iPS細胞でつくり移植する臨床研究の準備が整いました。

これまで治療困難とされていた脊髄損傷も、iPS細胞を用いた再生医療による回復が期待されています。今は動物実験の段階ですが、複数の研究でiPS細胞由来の神経幹細胞を移植することによる修復効果が報告されています。

心筋梗塞や拡張型心筋症が原因で起こる心不全においても、iPS細胞から心筋細胞をつくって心臓に注射したり、シート状にして心臓に貼り付けたりする治療方法の研究が進んでおり、臨床研究に向けて準備が整いつつあります。

図2 再生医療の実用化プロセス

再生医療のさきがけは皮膚移植で、1960年代に世界で初めてハーバード大学が成功。その後、血管、骨、軟骨といった、比較的単純な組織に対し、体性幹細胞を使った再生医療の研究が進められて一部製品化されている。近年は、神経や心筋、感覚器の研究も進められている。今後は、神経ネットワークの再構築が必要な脳梗塞や脊髄損傷、さらには肝臓や腎臓などの立体的な臓器の再生技術の開発・実用化が課題。

世界初! iPS細胞からヒトの肝臓の作製に成功

再生医療の研究対象でもっとも難しいのが臓器です。複雑な立体構造をもち、血流があり代謝やホルモン産生などさまざまな機能を持っているからです。

従来のiPS細胞を使った再生医療の研究は、「細胞をつくる」ことが主流。しかし、谷口教授のチームは、iPS細胞から「臓器をつくる」ことを目標に研究を進め、2013年に世界で初めて、複雑な血管構造を持つ立体的なミニ肝臓(肝芽)をつくり出しました。肝硬変など、重い肝臓病を治す力を秘めています。

この研究のヒントになったのは、母親のお腹の中にいる胎児の臓器ができていくプロセス。ヒトのiPS細胞からつくった肝臓のもとになる細胞、血管のもとになる細胞、それらを定着させる接着剤のような役割を果たす細胞、この3つをシャーレに入れて培養すると、約2日後に、もこもことした立体構造へ変化しました。これが「肝芽」と呼ばれる肝臓のもとになる組織です。マウスに移植すると、血管網ができて血液が流れ、「肝芽」が臓器に成長。ヒトの肝臓として機能することが確認されました。

この発見が史上初の、iPS細胞を使った臓器再生として、英国『ネイチャー』誌をはじめ、国内外の科学誌に掲載されました。移植用の臓器が不足するなか、人工的に臓器をつくることができれば、一人でも多くの人の命を助けられるのです。

図3 こうしてiPS細胞がヒトの肝臓になる

マウスの脳に移植された肝芽(緑色の部分)を映し出したパソコンのモニター画面。移植後48時間で新たな血管網がつくられ(赤色の部分)、たんぱく質の合成や薬物代謝など、ヒトの肝臓と同じ機能が確認された。

「もっと知るiPS細胞(2)」
細胞も生き物である

iPS細胞から臓器をつくる――この世界を驚かせた研究の根本には、「細胞は生き物」という前提があります。細胞も人間と同じように毎日食事を必要とし、成長してシャーレの中がきつくなると居心地が悪くなります。そして、人間と同じように、細胞の個々の能力には限りがあっても、集団になれば互いに働きかけ、チームワークで良い作用を生み出していくのです。これを「細胞間の相互作用」と呼んでいます。

iPS細胞を使った臓器再生医療の今後の見通し

現段階でできたのはあくまでも「肝臓の芽」であり、胎児の中にある肝臓と同じ未熟な状態。これを患者に移植し、患者の体内で一人前の肝臓に育てることで初めて肝臓として機能し、治療の効果が表れるというのが実用化のイメージです。

肝臓の再生医療は、2019年に、ヒトに対する第1例目の臨床研究を実施することを目標に準備が進められています。おもに安全性の確認が目的であり、肝臓の酵素欠損症という希少疾患が対象となりますが、将来的には患者数が最も多い肝硬変などへの適応拡大を目指しています。

さらに、肝臓以外の臓器への応用も研究が進められています。研究チームでは膵臓と腎臓の再生に取り組んでおり、これらの一部の構造について、肝臓と同じやり方が応用可能であることがわかってきています。

<取材・文>渡邉真由美